若杉山に窯の燃料となるアカマツがあり、器作りに適した環境が整っていた須恵町。宝暦元年(1751)頃、有田焼や伊万里焼を手本に磁器「須恵焼」が生まれました。黒田藩の御用窯として発展し、約150年に渡って作られ“幻の筑前磁器”として珍重されたと言われています。絶えてしまってから120年を経て、陶芸家の倉島岱山さん(写真)が復興。以来30年以上、個展や品評会への出品、小学生に教えるなどして須恵焼を広める活動を行っています。「窯跡や文献を見ながら試行錯誤を重ねて復興させました。須恵焼の模様・祥瑞や金錆染付の美しさには目を奪われます。町の皆さんに須恵焼を誇りに思ってもらって、次の世代の作り手が現われてくれることを願っています」と語ります。